言の葉の庭で雪野と孝雄が詠う(うたう)短歌。言の葉の庭を視聴した方なら、「あの短歌はどういう意味だったの?」と疑問を持っている方もいるのでは?そこで、今回は言の葉の庭で出てくる短歌の意味についてご紹介します。ストーリー内容とどのような関係があるのかも解説していきますのでご参考ください。(少しネタバレも含みます…)

 

【© Makoto Shinkai / CoMix Wave Films】

言の葉の庭で出てくる短歌は万葉集の一部

 

言の葉の庭で雪野と孝雄が詠う「なるかみの〜」で始まる短歌。

 

これは、万葉集の中にある和歌の1つ。万葉集は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた和歌集です。

 

万葉集では様々な階級・身分の人々が詠う和歌が集められているのですが、言の葉の庭で雪野と孝雄が詠う「なるかみの〜」という短歌は飛鳥時代の歌人“柿本人麻呂”が詠った和歌であるといわれています。

 

言の葉の庭のストーリーの中で詠われる「なるかみの〜」という短歌は、愛する相手に送る短歌です。さて、雪野と孝雄が詠った短歌にはどのような意味が込められていたのでしょうか。

言の葉の庭の中で孝雄と雪野がうたう短歌の意味

言の葉の庭の中で、初めて孝雄と雪野が公園の東屋で出会った日に、雪野が帰り際に孝雄に向けて短歌を詠います。しかし、その時孝雄は雪野が詠った短歌の意味を理解することができませんでした。

 

後日、その短歌の意味を知った孝雄は改めて雪野に返し歌を詠います。言の葉の庭で雪野と孝雄が詠った短歌にはどのような意味があったのか解説します。

雪野が孝雄に詠った短歌の意味

とある問題を抱えて苦しんでいた雪野。雨が降る日、たまたま訪れた公園の東屋で孝雄と出会い、その帰り際に孝雄に向けてこのような短歌を詠います。

雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り

 

雨も降らぬか 君を留めむ

この雪野が孝雄に向けて詠った短歌を訳すと、

雷が鳴り響き雨でも降ってくれないであろうか。

 

そうすれば、あなたをこの場に引き止めることができるのに。

という意味になります。

孝雄が雪野にかえす短歌の意味

雪野が問題を抱えて苦しんでいたことを知った孝雄。後日、孝雄は雪野に向けてこのような返し歌を詠います。

雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも

 

我は留らぬ 妹し留めば

孝雄が雪野へ返し歌として詠ったこの短歌を訳すと、

たとえ、雷が鳴り響いたり雨が降らずとも

 

あなたが引き留めるなら私はここにいる。

という意味になります。

言の葉の庭で出てくる短歌とストーリー内容との関係(ネタバレ含む)

言の葉の庭

【出典:amazon

 

言の葉の庭でメインの登場人物は、靴職人を目指す高校生の孝雄とその高校で古典教師として働く雪野です。雪野は孝雄が通う高校で古典を教える教師でした。しかし、その高校でとある問題が起こり、精神的に参ってしまいます。また、雪野はその問題について周囲の人に理解してもらえずに苦しんでいました。

 

そして、とある雨が降る日に訪れた公園の東屋で孝雄に偶然出会い、孝雄のスクールベストに自分が教師として働く高校の校章が刺繍されていることに気づきます。もしかしたら、この時に雪野はなんとなく孝雄に運命的なものを感じ、孝雄と一緒に過ごすことで自分が抱えている問題から救われるのではないかと思ったのかもしれません。

 

「また雨の日にあなたと会いたい」

 

そんな意味を込めて、雪野は孝雄へ短歌を詠ったのでしょう。

 

そして、数ヶ月後に雪野が抱えていた問題について知った孝雄。いつもは雨の日に限り公園の東屋へ通っているのですが、雪野が学校で起きたトラブルについて苦しんでいた事実を知った後日、雨が降っていない日に公園へと向かいます。

 

すると、そこにいた雪野に向けて

 

たとえ、雷が鳴り響いたり雨が降らずとも
あなたが引き留めるなら私はここにいる。

 

という意味の返し歌をを詠います。

 

この時、孝雄は雪野に恋をしていました。孝雄は、問題を抱えて苦しんでいる雪野を自分がいつでも救いたいという思いを伝えたかったのでしょう。

 

以上が、言の葉の庭で出てくる短歌の意味とストーリー内容との関係についての解説でした。言の葉の庭のあらすじが気になる方は、言の葉の庭のあらすじ・ラストの内容を紹介!作品の感想も!もあわせてご参考くださいませ。

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